今回のポイント
こんにちは。英文法を解説したいです。今回解説するポイントをはじめに列挙します。解説をお読みになったら、きっぱり暗唱してみてください。
名詞とは事物の名称を表すものである。
名詞は、文のなかでS(主語)、O(目的語)、C(補語)の役割を担う。
動詞(V)とは人や物(主語)の動作・状態を表すものである。
動詞はそのあとに続く品詞を強度に規定する。
形容詞は名詞を説明しようとして発せられる。
その説明はふたつの文法上の形式においてなされる。
①限定用法:形容詞は名詞を修飾する(修飾要素になる)
②叙述用法:形容詞はC(補語)になる
副詞は名詞以外を説明しようとして発せられる。
副詞は修飾要素(M)となり、文の要素(S,V,O,C)になることはない。
文の要素とは、その文に必然的、本質的に要求される必要最低限の意味上の要素のことである。
文の要素は、S(主語),V(動詞),O(目的語),C(補語)である。
主語とは、動作・行為・状態の担い手(動作主)を表す語である。
動詞とは、主語の動作・行為・状態を表す語である。
目的語とは、行為・動作の対象を表す語である。
補語とは、主語・目的語の性質や状態を説明する語である。
修飾要素とは、その文に必然的、本質的に要求される要素ではないが、文の内容をより豊かにするために付されるものである。
修飾要素となるのは、形容詞の限定用法と副詞である。
英文は5つの文型(文のかたちの種類)に分けることができる。
第1文型:SV
第2文型:SVC
第3文型:SVO
第4文型:SVOO
第5文型:SVOC
ある英文がどの文型であるか(Vのあとにどの文の要素が続くか)は、動詞が決定する(動詞が文型を支配している)。
文の要素・5文型
以上にまとめましたポイントによると、英文は4つの本質的要素(S,V,O,C)によって構成され、その英文は5つの文型のうちのどれかであるということが分かります。5つある文型のうち、どの文型にもSVがあります。何を話すにしても、「何(S)がどうした(V)」という要素がなければ、話が通じないことは納得いただけますでしょうか。このSVの仕組みは必然的に要求される要素であることは直観的に理解していただけると思います。では、目的語(O)や補語(C)はどうでしょうか。こちらは文型によってあったり、なかったりですね。次の文を検討しましょう。
意味は通じるでしょうか。「私は(が)与えた。」これで言いたいことが相手に伝わるでしょうか。即座に相手は、「何を誰にあげたのだ?」と聞き返すことでしょう。これに対して「何を誰にというわけでもないが、与えたのだ」と返事をしたとすれば、それは一般的には理解不能で話が成立していないとみなされてしまうでしょう。与えるという行為が成立するためには、与える相手と与える物が必然的に用意されていなければなりません。与える相手の存在しない「与える」はあり得ませんし、与える物の存在しない「与える」も同様にあり得ません。
「ん?誰に何をあげたの?」
「いやはや、すっかり俺は与えたよ。」
「だから、何を?」
「君にあのイヤリングをだよ。」
「え。でも受け取ってないよ?」
「それでも、与えたんだよ。」
「ごめんなさい。よくわからないわ。」
「君の家の郵便受けに入れてある。帰ったらみてくれ。」
「そういうことね。それならそうと早く言って。気が違ったのかと思ったわ。」
「いやあ。省略したんだよ。」
「あのねえ。あなたは誰に何を与えたか知ってるから、省略しても分かるけど。私は何も知らないんだから、省略なんてできないでしょ?」
「いやあ、それでも省略したんだよ。」
聞き手にとって既知の情報でないにもかかわらず、文の必然的要素を省略することは、一方で示唆的であり、また一方でもったいつけたような言い回しで聞き手からすると煩わしいものなのかもしれません。
もう一例考えてみましょう。
「買う」という行為が成立するために絶対に必要な要素は何でしょう。それは何を買うかということ、「買う」という行為の目的語が必要ですね。「買う」物がないのに、「買う」ことはできません。ただこの’buy’には「買ってやる、買ってあげる(買って与える)」という意味もあります。この意味のときは、誰に「買ってあげる」のかが明示されていなければなりません。このように同じ動詞であっても、意味が異なれば、取る文型も異なるということは認識しておいてください。
In the 18th century, most people lived in a small local village and families did the chores together all day.
‘In the 18th century’ は前置詞句として副詞のはたらきをし、文全体を修飾している(Mである)。
‘most’ は形容詞で’people’ を修飾している(Mである)。
‘people’ は名詞で文の要素、主語(S)である。
‘live’ は文の要素、動詞(V)である。’live’ は自動詞である。
‘in a small local village’ は前置詞句で副詞のはたらきをし、’lived’ を修飾している(Mである)。
‘and’ は等位接続詞で文(SV)と文(SV)とをつないでいる。
‘families’ は名詞で文の要素、主語(S)である。
‘do’ は文の要素、動詞(V)である。’do’ は他動詞である。
‘chores’ は名詞で文の要素、目的語(O)である。
‘together’, ‘all day’ はともに副詞で’did’ を修飾している(Mである)。
この例文では、第1文型の文と第3文型の文とが(等位)接続詞によってつながれており、また修飾要素が各所に散りばめられています。このように実際の英文は5つの文型を基本として、そこに修飾要素および接続要素が足し算されてあるものと理解することができます。
動詞の意味を考えよう、辞書を引こう
be, become, give, get, go, make
このようにお願いして実際に引いてくれる方が何人といようか。でも、素直に引いて隅から隅まで読んでほしい。知らなかったことがたくさんある。私もそうである。辞書は知っている単語を引くためにも存在しているし、そうすることで疑問が解決することは多々ある。知らない単語を引かない人はいない。
SVとSVCとの関係
②I am a student.
この二文を比較する。be動詞はSVを取ることもあれば、SVCを取ることもある。その意味はSVのときは「Sがある、存在する」、SVCのときは「SはCである」である。すなわち、①は「私は存在する」と②は「私は学生である」と訳される。動詞の意味から必然的に要求される後続要素は、「存在する」の意の場合は存在しない。しかしながら、①の文は文法的に何ら問題はないものの、通常の日常会話ではまず発せられない文であろう。私が存在しているのは会話の相手からすれば、いわば当然であって、必要な説明はその存在する私がどのようであるかということであろう。すなわち、私(主語)が存在して、かつどのように存在しているのかを補って説明する必要がある。その説明する文の要素が補語(C)である。補語は主語の状態・性質を説明するものであるから、それゆえ<S=C>という関係がまた成り立つのである(数式を用いて言い換えたにすぎないが)。
補語(C)なしでSVだけで文が成立する動詞のことを完全自動詞という。
SVだけでは文が成立せず、主語を説明する補語(C)を必然的に要求する動詞のことを不完全自動詞という。
Humans die.(完全自動詞)
He became a doctor.(不完全自動詞)
She is beautiful.(不完全自動詞)
God is.(完全自動詞)
I think, therefore, I am.(完全自動詞)
All passengers remain silent.(不完全自動詞)
Ken is.(完全自動詞)
Ken is in his room.(完全自動詞)
最後の文例のように存在とそれに類する意味を表す動詞には、場所や時の表現がそのあとに続くのが普通です。あるのは分かっているから、それはいつどこなのかということに文意の重心がおかれることのほうが用例として多いですから。
動詞の意味を考えよう
今回はSVとSVCしか触れることができませんでした。SVO,SVOO,SVOCも順次解説します。
文がどのような姿をするのかを決定するのは、動詞(の意味)です。与えるのであれば、誰に何を。食べるのであれば、何を。変化するのであれば、何から何に。住んでいるのであれば、どこに。失敗するのであれば、なぜに。動詞に対して常に5W1Hを投げかけてください。そして、その5W1Hに対する答えを英語ではどのように表現するのか。5文型によって表現できることと表現できないことを意識し、5文型にできないことを何が代わってしているのかを次回以降解説してゆきます。